2011年2月12日土曜日

アイドルのハイレグ水着

アイドルのハイレグ水着は、ハイレグのワンピース型レオタードが主流となり、これにスポンサー名を直接プリントするか、またはたすきが用いられる。Tバックタイプのレオタードを着用するレースクイーンも多く見られた。ピンヒールと大きな傘、そして当時流行の髪形、初期はレイヤー、その後ワンレンやソバージュとともに、レースクイーンの象徴的なスタイルとして強い印象を与えた。

現在ではハイレグのコスチュームはほぼ皆無。極端なミニスカートのワンピースが主流となる。ライクラ素材で作成された体のラインがそのままに出るものから、徐々にエナメル素材(PVC)のものへと変化していった。ワンピースの利点は布地面積が広いことであり、スポンサーロゴが大きくプリントされ、企業やチームカラーで色とりどりにデザインされた。

ハイレグに代わるセクシーさを求め、大胆なスリットを設けたり、バストの部分をくり抜き、谷間を強調するデザインが現れた。大きな変化としてはワンピースからセパレートタイプへの移行が挙げられる。ウエスト部分を露出したアンダーバストまでの上衣とミニスカートに、ブーツ、夏季はサンダル、春や秋には7分袖丈の上着を合わせるというスタイルが主流となった。パンツスタイルも採用されるようになり、スラックスと短いホットパンツに大別される。

グラビアページとは、グラビア印刷による書籍・雑誌の巻頭や巻末の絵や写真のページのことを指す和製英語。単にグラビアとも呼ばれる。もともとグラビアとは 凹版印刷の一つで、写真の印刷に適した印刷法(グラビア印刷)の名前であり、書籍や雑誌では本文の単色刷りページを活版印刷、絵や写真ページをグラビア印刷で行っていたために、グラビアページが写真ページと同じ意味を持つようになった。

ミスマガジン2003メンバーで2004年8月に、BMGファンハウス(現・BMG JAPAN)からCD「ユウキ」も発売された。ファイナルは時東受賞を見越してか例年より1名多い6名だった。1980年代は女性アイドルの黄金時代であった。正統派の松田聖子を筆頭に、中森明菜から邪道とされるおニャン子クラブまでさまざまなタイプの女性アイドルが現れた。女性アイドルのプロデュース手法などは、この時代に確立されたものである。

2010年8月13日金曜日

柏原芳恵

柏原芳恵は、日本テレビ系『スター誕生!』に出場、清水由貴子の「お元気ですか」を歌って合格。その後グランドチャンピオンとなり、柏原よしえの名で1980年6月1日、シングル「No.1」でフィリップス・レコードからデビュー。1981年発売の7枚目のシングル「ハロー・グッバイ」の大ヒットにより同期の松田聖子、河合奈保子に並ぶアイドルスターとなる。

豊かな胸・豊満なボディ・美貌は、河合奈保子と共に、グラビアやアイドル水泳大会で注目される実績を残した。同期で同郷でもある河合とは「なおなお」「よしよし」と呼び合う間柄で仲が良かった。1982年10月1日、シングル「花梨」の発売と同時に“よしえ”から“芳恵”に改名。

アイドルから本格的な歌手への脱皮を目指す。「春なのに」(1983年、TBS系『ザ・ベストテン』で最高2位まで上昇)、「最愛」など、中島みゆき作詞・作曲作品を中心にトップ10ヒットを1981年から1986年の間に18作品連続で出した。

2009年2月15日日曜日

アイドル水泳大会 ハイレグ

ハイレグとは、股間のビキニが急角度になっているもの。 アイドル水泳大会は、アイドルを中心とした多数の芸能人が、大型プールで運動会の様な競技を行った、バラエティ番組の一つであり、各テレビ局の番組タイトルには「オールスター~」「アイドル~」「芸能人~」「紅白~」「~水泳大会」「~水上(大)運動会」「~大集合」等類似した名が多数見られた。

しかし、最も一般に使われている組み合わせは「アイドル水泳大会」である。「水泳大会」の名で統一して説明するが、番組の紹介や宣誓式では「芸能人精神にのっとり」「若さあふれる根性で」等の建前で表現されているが、その本当の人気とは勿論、女性アイドルの水着姿と活躍に伴うそのあらわな姿である。

水着姿なら殆どのアイドルが今でも披露するが、水泳大会でしか見られない魅力ある映像とは、番組の規模や知名度としては、2つの分類が考えられる。一つは番組名にテレビ局の名まで冠して毎年行い、実際にヒットを飛ばしているアイドル歌手を多数集めた番組である。

もう一つは人気アイドルよりB級アイドル、モデル、バラエティ番組の出演が多い女性タレント、場合によってはポルノ女優まで引っ張り出して来るもので、こちらはマイナー系と呼んで説明して行く。また歌番組や深夜番組が年に2~3回、スペシャル番組形式で水泳大会を行ったものもある。

2008年11月17日月曜日

グラビアアイドルとキャンペーンガール

現在、あらゆる業界でキャンペーンガールがグラビアアイドル等芸能界への登竜門となっている。メジャー系ならばアイドルの水着姿がグラビアで楽しめる様になった、1960年代後半には行われていたと考えられる。なおフジテレビではビデオデッキが広く普及した時代に放映した総集編で、フジ初の水泳大会の映像を流した事がある。水泳大会はアイドルブームと共に放映本数・内容とも高まりを見せ、ビキニの露出度が高くなっていった。

書籍の中では、水泳大会もかなりの比率を占め、中には水泳大会写真集としか言えない出来の本もあった。バラドルの嚆矢となった森口、井森、山瀬らが頭の回転の良さを生かしてアイドル相当の年齢を越えてなお活躍しているのに対し、2003年頃からのバラドルたちは、少数の例外を除き「若くて容姿に優れているが、知性が欠けている」といういわゆる天然ボケのキャラクターが役割として求められている。

現代におけるバラエティー番組は非常に多様化しており、番組のカラーに合ったバラドルがそれぞれ出演依頼を受ける。高学歴タイプ、おバカキャラタイプ、ツッコミ芸人タイプ、お嬢様タイプ、体育会系タイプ、マルチタレントタイプ、その他のタイプ、国立大学卒など高学歴と知性を武器に主にクイズ番組や討論番組などで顕著な活躍をみせるのが高学歴バラドルである。

一般常識はもちろん、自身の得意とする分野の知識に精通し、知性の高い受け答えで視聴者の関心を誘う。しかし時に知性に頼りすぎて思わぬボロを出してしまい、それが新たな笑いを誘い人気に繋がる場合も多い。菊川怜、眞鍋かをり等グラビアアイドル出身者のほかに、アナウンサー等からの転身組もこのタイプに含まれることが多い。

2008年3月8日土曜日

グラビアアイドル写真集

癒し系グラビアという流れは、「平成不況」という世相が反映して生まれたもの。メディアでも多く支持される流れにあるが、これはあくまで表面上のことであり、癒し系ならば人気が出て、他は支持されないといった単なる二元論ではない。

グラビアのスタイルの違いなどは微々たるものでしかないが、総じて1970年代半ばより現れ始めたグラビアアイドルは、その時代の社会的ニーズや流行によって変遷し、その時代に則した者が大きな人気を獲得している。

業界内では「若いうちは脱ぐ」「胸も顔のうち」と言われる事も多く、最初の写真集グラビア撮影時にビキニを着るのが恥ずかしくて泣いてしまったという乙葉が「水着にならなくていいアイドルは松たか子だけと言われた」という、有名なエピソードも存在する。

本来、グラビア露出は芸能活動のほんのワンステップに過ぎず、ある一定ラインの年齢を過ぎたら、女優やタレントに転身して行く場合が殆ど。本上まなみや佐藤江梨子、眞鍋かをり等のようにグラビア経験者が、後に文才や芸術の才能を発揮し、グラビアとは全く別のことで注目を浴びる場合も数多い。

浜崎あゆみや華原朋美、ZARDの坂井泉水など歌手として大成した人物の中にも、過去にグラビアイドルを経験している女性芸能人は多く存在する。しかし21世紀に入ると、自ら現役グラビアアイドルと公言し、グラビアを卒業せずにタレントや女優としての活動を並行して進める者が現れ始める。

2008年2月3日日曜日

グラビアアイドル 川村ゆきえのセクシーショット

グラビア方面でより注目を集めたのは準グランプリに選ばれた川村ゆきえである。抜群のプロポーションと10代にもかかわらず大人をも凌ぐセクシーさを併せ持った稀有な存在として世の男性陣を虜にしていった。川村は「これから先数年はトップグラビアアイドルとして活躍するだろう」とファンや業界から熱い注目を浴びていたが、翌年になって所属事務所とのトラブルから移籍問題を起こし、民事訴訟裁判にまで発展。敗訴という結果を受けて移籍先事務所での芸能活動を自粛せざるをえなくなり、一時期芸能界からフェードアウトしてしまう。

2006年半ばに再び別の事務所に移籍した上で復帰したが、この当時の勢いには及ばず、グラビア業界にとっては大きな損失となった。また後に人気若手女優として活躍する戸田恵梨香が誌面ユニット『ヤングジャンプ制コレ5up』の一員に選ばれているが、この頃はまだ後の活躍は予期されていない。一方この年の『ミスマガジン2003』ではプラチナムプロダクションの岩佐真悠子がグランプリを獲得。クールな小悪魔系美少女として他のグラビアアイドルと違う異彩を放ち注目される。

また岩佐はグラビアと並行して即座に女優業にも進出。ネット小説で話題となった『DeepLove』のテレビ版ドラマにおいて原作者たっての指名を受けいきなり主演に抜擢、複雑な家庭環境を持つ女子高生のアユ役を好演し、そのクールなイメージにさらに磨きをかけて活躍。翌年に第42回ゴールデン・アロー賞グラフ賞を受賞する。またミス週刊少年マガジンには瀬戸早妃が選出。瀬戸はイエローキャブ系列のサンズ(現:サンズエンタテインメント)所属だが「イエキャブと言えば巨乳」という周囲の固定概念を覆すスレンダーボディの正統派美少女という事で2001年当時(『制コレ2001 7up!』のメンバー)から度々話題になっていた。

逆に巨乳系としては夏目理緒がミスヤングマガジンに選ばれている。さらに女優としてデビューした堀北真希が長澤まさみに続く清純派の代表格として話題を呼び、水着にこそならないものの、度々グラビアを賑わせるようになる。その逆に2001年のインリン・オブ・ジョイトイや堀口としみ等から始まる極めて露出の高い水着を着たり、女性の局所を手や花等のアイテムで隠したりしたグラビアに、世の携帯時代を反映して「着エロ」というキーワードが付けられたのもこの頃である。主にレースクイーンからの転出組や、お菓子系雑誌組などが挑戦して男性誌などで一つの流れを作った。

2007年11月21日水曜日

巨乳系グラドル 夏目理緒

巨乳系としては夏目理緒がミスヤングマガジンに選ばれている。さらに女優としてデビューした堀北真希が長澤まさみに続く清純派の代表格として話題を呼び、水着にこそならないものの、度々グラビアを賑わせるようになる。その逆に2001年のインリン・オブ・ジョイトイや堀口としみ等から始まる極めて露出の高い水着を着たり、女性の局所を手や花等のアイテムで隠したりしたグラビアに、世の携帯時代を反映して「着エロ」というキーワードが付けられたのもこの頃である。

主にレースクイーンからの転出組や、お菓子系雑誌組などが挑戦して男性誌などで一つの流れを作った。この頃からグラビアアイドルの目指す方向性の2極化が顕著になってくる。つまり女優やテレビタレントに転身する際に、「グラビアから卒業する者」と「グラビアを卒業せずに並行して次のステップに進む者」と、である。グラビアアイドルのバラエティ番組への本格的進出が顕著になり、特にMEGUMI、若槻千夏を始めとする「芸人並に喋れて面白いリアクションができるグラビアアイドル」の出現がグラビアアイドルの裾野を広げる大きなきっかけとなった。

それまでもグラビアアイドルから転身しテレビタレントとして成功していた例はいくつもあったが、現役グラビアアイドルの肩書きを持ちながらバラエティ番組で成功したという意味では彼女たちが先駆者といってよい。MEGUMIはさらに番組司会や女優、歌手までこなすマルチタレントとして広く認識され、近年のグラビアアイドルの最たる成功例としてマスコミに取り上げられることも多い。また喋りではなくその特異なキャラクターで同様の地位を築いたのが小倉優子で、グラビアと並行しつつTV方面でも活躍。当初は単なる「ぶりっ子キャラ」というひと昔前のキーワードで括られる存在だったが、出演番組での発言の機会が増えたことで本来の「不思議系キャラ」として認識されるようになる。

若槻千夏は渋谷系ファッションとそのギャル的な言動から男性のみならず若い女性からもその年代を代表する存在として広く人気を獲得した。1979年秋、スター誕生!に出場、清水由貴子の「お元気ですか」を歌って合格。その後グランドチャンピオンとなり、柏原よしえの名で1980年6月1日シングル『No.1』でフィリップス・レコード からデビュー。1981年発売の7枚目のシングル『ハロー・グッバイ』の大ヒットにより同期の松田聖子、河合奈保子に並ぶアイドルスターとなる。